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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)7563号 判決 1960年9月30日

原告 太平護謨株式会社

被告 国

訴訟代理人 星智孝 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、別紙目録記載の物件(以下本訴物件と略称する)を引き渡せ。もし右引渡の執行不能のときは、金二三二、一三四、六九〇円およびこれに対する昭和三二年一〇月二三日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに「仮執行の宣言を求める。」と申し立て、

請求の原因として、「原告会社は、大東亜戦争終結前、神戸市葺合区脇浜三丁目二、〇四二番地においてゴムの製造販売を業としていたものであるが、昭和二〇年五月二〇日、多数の日本海軍軍人、同軍属が大挙原告会社工場に来て、同会社の抗議を無視し、同工場にあつた原告会社所有の本訴物件全部を持ち去つてしまつた。よつて、原告は、所有権に基き、被告に対し、右物件の引き渡しを求める。もし、右引渡の執行不能のときは、これに代る損害賠償として、右物件の本件口頭弁論終結当時における時価すなわち別紙目録記録の価格合計金二三二、一三四、六九〇円およびこれに対する右金員の支払を求めた準備書面陳述の日の翌日である昭和三二年一〇月三二日から完済にいたるまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだものである。」と述べ、

被告は売買により本訴物件の所有権を取得したと主張するので、さらに、その間の事情を詳述するに、「その主張事実のうち、昭和二〇年五月一八日原告会社代表取締役尾崎周平が海軍省艦政本部に呼び出され、同所係官から被告主張の理由でゴム製造用機械である本訴物件につき売買の接渉を受けたこと。同年八月一八、九日ごろ原告会社の社印および社長印を押した書類を訴外井狩甫海軍少佐を通じて艦政本部に提出し、さらに同年一〇月二三日代金支払請求書を提出したこと。金四一〇万円が被告主張の方法で設定されたこと。戦時補償特別税の納付方告知があつたことは争わない。

原告会社代表取締役尾崎周平は、昭和二〇年五月一八日、艦政本部において、同所係官から、本訴物件を含む原告会社工場一切を買収したい旨申し渡されたが、四〇数年来苦労を重ね経営改良した工場でもあるのでこれを拒否しなものの、重ねての要望もあり、やむなく、税金ぬきの代金相当額ならば売却に応じてもよいと答えた。そこで艦政本部は代金額決定のため訴外横浜ゴム株式会社々長中川末吉に右物件および営業権の価格を鑑定せしめたところ、価格一、〇〇〇万円以上と鑑定されたので、これを基礎に種々接渉したが、双方の言い値に開きが大きく、結局代金額の点で右売買契約は成立しなかつた。その後右物件の持ち出しなどがあつたので、同年八月一八日、原告会社の代理人訴外橋本豊次をして、当時大阪に出張して来た井狩少佐に面接せしめたところ、同少佐は、国内動揺の時値段の高下を論ずるのではない。終戦前の同年七月二八日契約が成立したことにしてやるから、代金四〇一万円とする契約書案正副二通を提出すれば、契約担当官である上司の承認を得て代金を直送するよう取りはかつてやる、といつて、その旨の契約様式を示されたので、原告は、これに基き、契約日を同年七月二八日、代金四〇一万円と記入し、それに原告会社の社印および社長印を押した契約書案を作成し、そのころこれを井狩少佐に手渡し、あわせて、代金の送付先を安田銀行神戸支店の原告会社当座口にされるよう希望を付したが、その後契約担当官である海軍省経理局長の承認が得られなかつたため、契約は成立するに至らず、もちろん契約書の交付もしくは受諾の通知も代金の送付もない。その後海軍省の廃止、係官の所在不明などでとりつく島もなく今日に至つたものである。

被告は、井狩少佐に売買契約締結の権原があつたかのように主張するけれども、契約担当官はあくまでも海軍省経理局長であつて、井狩少佐にはなんらの権原もなく、単に原告の右意向を取りついだに過ぎない。また、原告が前記支払請求書を提出したのも本訴物件を持ち去られてしまつた現在せめて金だけでも受け取ろうと考え、係官から勧められるままに、右契約書案の控(甲第一号証の一)に基き作成提出したものであり、これをもつて契約成立の証左とすることはできない。

当時施行されていた会計規則(大正一一年勅令第一号)第八五条、第八六条によれば、国と民間人間の契約は各省大臣またはその委任を受けた官吏が契約書に記名押印することによつて成立するいわゆる要式行為であり、被告主張の売買契約が成立したとするならば、海軍大臣または海軍省経理局長の記名押印した契約書の作成とその交付を必要とするのに、かかる書類の作成も交付もない。なる程金四〇一万円という金が被告主張のように企業整備資金措置法等によつて設定されたものかも知れないが、かくの如き措置がとられたからといつて、なんら契約の成立を証することにはならない。もつとも、後日、日本橋税務署から戦時補償特別税の納付方告知があつたけれども、右の如く本件売買契約は成立しなかつたのであるから、右税法の適用はないものというべく、したがつて原告はこれにかかり合わなかつたものである。」と述べた。

<立証 省略>

被告訴訟代理人は、主文と同趣旨の判決を求め、答弁として、「原告の主張事実のうち、同人が大東亜戦争終結前主張の地においてゴムの製造販売を業としていたこと。本訴物件がもと原告の所有であり、被告が主張の日にこれを引き取つたことは認めるが、その余の事実は争う。

(一)、本訴物件は売買により被告の所有に帰属したものである。すなわち、被告国の機関である海軍省艦政本部においては、特殊ゴムの製造を企図し、昭和二〇年二月ごろから、当時ゴムの製造に従事していた原告との間に、ゴム製造用機械である本訴物件について売買の交渉が進み、同年五月一八日、艦政本部に出頭した原告会社代表取締役尾崎周平との間に、右物件を代金四〇一万円とする売買契約が成立した。もつとも、右代金額の決定にあたつては原告に多少の不満があつたかも知れないが、当時国家総動員態勢下にあり、国策に協力するという意味もあつて、原告はその売渡を了承したので、艦政本部においては、同月二〇日現地で円満に右物件の引き渡しを受けたものである。

かりに、右事実が認められないとしても、原告は、昭和二〇年五月一八日、本訴物件についての代金額は後日折衝のうえ決定するということで売買契約に応じたものである。そして代金の決定は、同年八月一八、九日ごろ、大阪に出張した被告の契約事務担当官井狩甫海軍少佐と原告との間において、代金四〇一万円とする合意が成立したから、遅くもそのころ右売買契約は完結したものというべきである。

以上の事実は、原告が、同年八月一八日ごろ同会社の社印および社長印を押した同年七月二八日付の売買契約書を作成提出し、かつ、同日ごろ、同年九月上旬ごろおよび同年一〇月二三日の三回にわたり、金四〇一万円とする代金支払請求書を提出していることから見ても明らかであり、また、右物件の引き取りにおもむいた際、原告から現在投入されている原料の製品化まで待つてくれ、と言われ、その三日後の同年八月二〇日円満にその引き渡しを受けた事実に照しても明らかである。

しかして、代金の決済については、原告から、同年一〇月二三日艦政本部会計部に海軍省経理局長あての前記代金支払請求書が提出されたので、同会計部は、支払請求票作成のうえこれを海軍省経理局第三課に送付し、同経理局は、その支払をする必要があることを認め、その決済をするのにあたり、企業整備資金措置法(昭和一八年法律第九五号)第四、五、一〇条に基く政府特殊借入金を設定することに定め、昭和二一年五月、臨時資金調整法施行令第九条の六前段による大蔵大臣あての借入請求書および原告あての借入通知書を作成し、前者については、その所管課である経理局主計課に廻付し、所定の決済を得たうえ大蔵大臣に通知し後者についてはそのころ原告にこれを発送した。この間、政府特殊借入金証書を交付する日本銀行においては、原告に対し、同証書の交付方を通知したが、その交付前、右借入金は、戦時補償特別措置法(昭和二一年法律第三八号)第二条により戦時補償特別税として課税されることになり、同法第一四条第一項による申告がなかつたため、同税として同法第一九条第一項により徴収され、ここに代金の決済を終つたものである。

かりに、以上の事実が認められないとしても、現在本訴物件は全く所在不明である。したがつて、これが返還を求めるのは不可能事を強いるものであり、たとえ、これに代る損害賠償義務があるとしても、それは滅失当時の価格を基準とすべきであるのに、口頭弁論終結当時における現在価格を訴求する原告の本訴請求は失当である。」と述べ、

「原告は、国と民間人間の売買契約は当時施行されていた会計規則に基き要式行為であると主張するけれども、同規則は、単に契約締結に関する行政官庁内部の取扱を規定したに過ぎないから当事者間に合意が成立した以上、原告主張の要式行為がないからといつて合意の効力になんら消長を来たすものではなく、契約書等は単に証憑書類として作成されるに過ぎない。おそらく、本件売買についても原告主張のような契約書が作成されたものと考えられるが、終戦時の書類の焼却、散逸等によりそれが証明できないのみである。」と述べた。

<立証 省略>

理由

原告会社は大東亜戦争終結前その主張の地においてゴムの製造販売を業とし、別紙目録記載の物件(以下本訴物件と略称する)を所有していたこと。被告は昭和二〇年五月二〇日右物件を引き取つたことについては当時者間に争いがない。

被告は、右物件は売買により引き渡しを受けたもので、その所有権は被告にあると抗争するので、判断するに、原告会社代表取締役尾崎周平が昭和二〇年五月一八日海軍省艦政本部に出頭し、同所係官から、特殊ゴム製造のためということでゴム製造用機械である本訴物件の売却方交渉を受けたこと。原告会社は同年八月一八、九日ごろ同会社の社印および社長印を押した書類を訴外井狩甫海軍少佐をつうじて艦政本部に提出し、さらに、同年一〇月二三日代金支払請求書を提出したこと。被告の主張するごとく金額四〇一万円とする企業整備資金措置法に基く政府特殊借入金が設定されたことについては当事者間に争いがない。この事実に、成立に争いのない甲第一号証の一、乙第一ないし八号証の各一、二、原本の存在と成立およびその写であることについて争いのない乙第九号証、原告会社代表者尾崎周平本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認める甲第一号証の二、証人橋本豊次(第一ないし四回)、井狩甫(第一、二回)、尾崎尚平、牧野良三、中川末吉、觜本富三の各証言を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、昭和二〇年三月ごろから、当時の海軍省艦政本部においては、兵器用の特殊ゴム製造のため、原告会社(当時資本金五〇万円)に対し、ゴム製造用機械の売却方を交渉したが、同会社はこれに応じようとしなかつたので、右契約事務を事実上担当していた艦政本部会計課においては、同年五月一八日ごろ、原告会社社長尾崎周平を電報で呼び寄せ、さらにその交渉を進めたところ、周平としては、国家総動員態勢下でもあり、あくまでこれを拒否するときは強制的に買収されるおそれもあると考え、やむなく、本訴物件の売却に応ずることとし、そのころ訴外横浜ゴム株式会社社長中川末吉の出した右物件および同物件所在工場の営業権等の査定価格約一、〇〇〇方円ならびに売却代金に対する課税率約六割等の事情を勘案し、代金は税ぬき代金四〇一万円とされるよう申し出たが、艦政本部は税込代金四〇一万円を譲らず、空襲被災の危険もあり、代金額の決定もみないままに同年六月上旬ごろ原告会社に引き揚げた。一方、艦政本部から本訴物件の引取方を指示された現地軍は、同年五月二〇日ごろ、右物件引き取りに原告会社工場に出向いたところ、同会社から未だ売買交渉の結果について社長からなんら報告を受けていないからと拒否され、結局現在投入中の原料が製品化されるまでの三日間引き取りを待つということで一旦帰り、その三日後の同月二三日ごろ、ふたたび大挙して引き取りに出向き、同月末日ごろまでの間に右物件全部を他に搬出してしまつた。その後、原告会社は、艦政本部から同年八月一六日に係官を派遣する旨の通知を受けたが、当日来訪がなかつたので、同月一八日ごろ原告会社相談役訴外橋本豊次を代理人として、当時大阪にあつた艦政本部の連絡先に行かせ、契約事務を事実上担当していた海軍省艦政本部員兼海軍省経理局員海軍主計少佐訴外井狩甫に面接せしめたところ、同少佐から、国内が動揺し軍もなくなつてしまうときに接渉を長びかせてもよくないから代金四〇一万円で売つたらどうか、終戦前契約したことにして契約日を同年七月二八日とする契約書を提出すれば本省に帰り代金は直送するよう取りはからつてやる、といわれ、その様式を示されたので、これに基き、契約日を同年七月二八日、代金四〇一万円と記載したものに原告会社の記名、社印および社長印を押した契約書案(甲第一号証の一の原本)および代金送付先を訴外株式会社安田銀行神戸支店の原告会社当座口とするよう依頼した書類その他関係書類を作成して、同年八月一九日ごろ井狩少佐に対しこれを海軍省経理局長に伝達されるよう依頼した。しかるに、その後、右経理局長の記名押印にかかる契約書の交付はもちろん代金の支払もなかつた。そこで、原告会社は同年一〇月二〇日ころ、前記橋本豊次をして艦政本部の残務担当者等に右の点をたゞしめたところ、改めて代金支払請求書を提出するよう指示されたので、同月二三日ごろ、甲第一号の一に基き同日付代金四〇一万円の支払請求書を作成提出したところ、これが受理され、その請求書は艦政本部会計部長等関係係官の決済を得たうえ、昭和二一年五月三一日被告主張のように右代金は政府特殊借入金として処理された。当時、契約担当官は海軍省経理局長であり、井狩少佐には契約締結等についてなんら代理権はなかつたことが認められる。証人尾崎尚平、橋本豊次(第一、二回)原告会社代表者尾崎周平本人の各供述中前認定に反する部分は直ちに採用しがたい。しかして、井狩少佐らの前記売買についての交渉等が契約担当宮である海軍省経理局長の意図に基いたものであることは証人井狩甫(第一、二回)、觜本富三の各証言によりこれをうかがうことができる。

以上の諸事実を勘案すると、海軍省における契約事務を事実上担当していた同省艦政本部係官は、契約担当官である同省経理局長の意図のもとに、昭和二〇年五月一八日、原告会社に対し、税込代金四〇一万円で本訴物件の売却方を申し込んだところ、原告会社代表取締役社長尾崎周平は代金額の点を除き一応これを了承したので、売買契約は成立したものと簡単に考えて右物件を引き取つたが、当時、代金額について合意が成立せず、その後においても売買の接捗をしていることなどの前記事実からすれば、同旧被告主張の売買契約が成立したものとはとうてい考えられない。しかしながら、前記事実からすれば、海軍省経理局長は、同年八月一八日ごろ、ふたたび、契約書作成等の事実上の事務を担当していた前記井狩少佐をして、原告会社に対し、契約成立の日を同年七月二八日、本訴物件の代金を税込金四〇一万円とすることでその売却方申込の意思表示を表明せしめたところ、原告会社の代理人橋本豊次は、その申込を承諾し、同少佐をしてその旨海軍省経理局長に伝達方依頼すべく、前認定の契約書案その他関係書類を作成し、これを同少佐に交付したものであると解すべきである。しかして、証人觜本富三の証言によれば、海軍省艦政本部会計部においては、代金支払請求書が提出されると、完備した契約関係書類をつづつた契約原簿と対照し、これに合致した代金支払請求書は関係係官の決済を経て支払事務を担当する海軍省経理局に引き継ぎされるけれども、合致しないものについては契約者に対し直ちに返却していた事実が認められるところ、原告が昭和二〇年一〇月二二日に提出した代金四〇一万円の支払請求書は艦政本部会計部に受理され、関係係官の決済を経て代金四〇一万円の支払措置がとられたこと前認定のとおりである。これらの事実からすれば、他に特段の事情も認められない本件においては、少なくとも昭和二〇年一〇月二三日以前において、右承諾の意思表示は海軍省経理局長に到達了知し得たものであることが推定される。したがつて、本訴物件についての売買契約は、さらに、原告主張のような契約書の交付もしくは受諾の通知の有無いかんを問わずここに成立したものというべく、被告はこれにより右物件の所有権を適法に取得したものといわざるを得ない。

もつとも、原告は、当時施行されていた会計規則に基き国と民間人の契約は要式行為であるのにその手続を経ていないから被告国との間の本件売買契約は成立していない旨を主張するけれどもほんらい、売買契約は国と民間人との間のそれであると否とを問わず口頭上の意思表示の合致により成立するものと解するのが相当であり、同規則(大正一一年勅令第一号)第八五条、第八六条が契約書の作成およびその送達を定めているのは、契約書の作成交付をもつで契約の成立要件とする趣旨のものではなく、単に経理事務等の便宜上後日の証拠に資するため契約書の作成を命じているに過ぎないと解される。したがつて、原告の主張するようにその作成交付がないからといつて、前認定の合意の効力を否定すべきではなく、また、代金支払の有無は契約の成否を左右するものでもない。したがつて、原告の右主張は採用の限りでない。

よつて、本訴物件の所有権は被告にあり、原告がその所有権を有することを前提としてなした本訴ならびに予備的請求はその余を判断するまでもなく理由がないから、失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

昭和三五年九月三〇日

(裁判官 柳川真佐夫 井口源一郎 金子仙太郎)

目録<省略>

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